百尺観音の歴史
百尺観音像は、明治35年生まれの荒嘉明が、23歳から 全国を行脚修行した後、千体の仏像を作るより生涯一 仏一体と決意し、昭和6年(1931)、29歳の時に崖を 削り込み磨崖仏の建立に着手したのが始まりです。周囲の「誇大妄想狂」という冷笑をものともしないで、一心不乱に制作に身を投じました。
- 初代荒嘉明
- 昭和9年の建立状況
昭和31年(1956)に落成式、更に昭和33年(1958)、八十八尺になった尊像の開眼式がとり行われました。 しかし30余年に及ぶ努力を続けましたが、未完のまま 昭和38年(1963)62歳にて嘉明は逝去いたしました。
- 昭和30年 落成式間近
- 開眼式からしばらく経過後(昭和38年頃と思われる)
二代目(荒保彦)が引継ぎ観音像の建設を進め、崩れやすい砂岩の摩崖仏にモルタル加工を施すなどを行いました。しかし、 昭和55年(1980)53歳の若さにて逝去しました。 さらに三代目(荒嘉道)が継承し参道や境内の整備をしてまいりましたが、東日本大震災で左手や体の一部が崩落してしまいました。三代目はその修理も行っておりましたが、平成25年(2013)3月58歳にて逝去されました。現在、四代目の荒陽之輔氏が父祖の志を受け継いでおります。
- 東日本大震災後のお姿